ナスターリークとは何か?
歴史・造形・用途をたどる
ナスターリークは、文字体系やアルファベット、さらにはフォントの一種と捉えられることがあります。しかし、どの説明もそれだけでは正確ではありません。ナスターリークは本来、書の一様式です。文字や語の形を整え、それらを行や紙面の空間とどのように関係づけるかについて、歴史の中で形成された規則をもつ書法です。
この様式は、ヒジュラ暦8世紀後半、すなわち西暦14世紀に、イランの文化圏で徐々に形成されました。連続する曲線、いくつかの垂直要素の比較的短い造形、抑制された長い伸び、筆線の太さの変化、そして語が行の中に置かれる方法などが、その視覚的な個性を形づくっています。
ナスターリークはペルシア詩や書物芸術と深く結びつきましたが、その歴史は詩だけにも、現在のイランの地理的範囲だけにも限定されません。この書体を理解するためには、形、用途、そして数世紀にわたってたどってきた歴史を合わせて見る必要があります。
(Yousefi, “Calligraphy,” Encyclopaedia Iranica;National Museum of Asian Art, Nastaliq: The Genius of Persian Calligraphy)
ナスターリークは書の様式であり、言語やアルファベットではない
ナスターリークを明確に定義するには、まず言語、文字体系、書の様式という三つを区別する必要があります。
ペルシア語はペルシア・アラビア文字体系で書かれます。同じ文字を、ナスフ、タアリーク、ナスターリーク、シェキャステ・ナスターリークなど、異なる書の様式で表すことができます。
ペルシア語の khat という語は複数の意味をもつため、問題を少し複雑にします。文字体系を指す場合もあれば、個人の筆跡を意味することもあり、khat-e Nastaliq のように特定の書体を指すこともあります。
ナスターリークでは、単に美しく書くことだけが問題なのではありません。文字の形、各部の比率、間隔、連結、語の位置、そして紙面の余白がすべて最終的な造形に関わります。そのため、同じ詩や言葉であっても、ナスフ、ナスターリーク、シェキャステで書けば、まったく異なる視覚体験になります。
ナスターリークのデジタルフォントも、ナスターリークそのものと同一視すべきではありません。フォントは、この書体の文字形や連結をデジタル上で再現しようとするものです。外観上の特徴を多く再現できても、デジタル組版と実際に筆記具を使って手で書く行為は異なるプロセスです。
なぜ「ナスターリーク」と呼ばれるのか?
「ナスターリーク」という名称は、一般に ナスフ と タアリーク という二つの名が結びついたものと説明されます。この語源説は専門資料にも見られますが、一つの誤解を生むことがあります。つまり、ナスターリークがある特定の時点で、この二つの様式を単純かつ直接的に組み合わせて生み出されたという理解です。
歴史的な証拠は、もっと複雑な姿を示しています。
ナスターリークの形成は、徐々に進んだ過程だったと考えられます。後にナスターリークの特徴として定着する要素の一部は、それ以前の移行期的な作例にも見られ、時間をかけてより明確な秩序と独自性をもつようになりました。
したがって「ナスターリーク」という名称は、ナスフやタアリークとの歴史的な関係を思い起こさせるものではありますが、この様式自体を理解するには、その構造と視覚的特徴をさらに詳しく見る必要があります。
(Yousefi, “Calligraphy”;Sedaghat Jabbari, “The Formation and Development of Nastaliq Script in the Eighth and Ninth Centuries AH”)
ナスターリークはどのように見分けるのか?
ナスターリークは、一つの特徴だけで見分けられるものではありません。語が クルスィ(kursi) と呼ばれる基準線上にどのように置かれるか、文字の形、曲線の動き、長く伸びる線、筆線の太さの変化、そして文字と余白の関係など、複数の要素の組み合わせによってその個性が生まれます。
クルスィと行の動き
書における クルスィ とは、文字や語が行の中で配置される際の仮想的な基準線を指します。必ずしも紙の上に実際に引かれた線ではなく、各要素が互いにどのように位置しているかを理解するための尺度です。
ナスターリークでは、語が常に一定の水平線上に並ぶわけではありません。行や半句の一部が上がったり、下がったり、斜めに動いたりすることがあります。この高さの変化が行に動きを与え、ナスターリークらしい外観をつくる重要な要素になります。

曲線、垂直線、長く伸びる線
ナスターリークでは曲線的な動きが強く現れます。文字の回転や弧によって、語や行に沿った筆の動きがより連続的に感じられます。
こうした曲線と並んで垂直要素も存在しますが、その一部は多くのナスフの作例と比べて比較的短くなっています。高さと曲線の関係が、二つの様式の視覚的な違いの一部を生み出します。
長く伸びる線も、単に空白を埋めるためだけに使われるわけではありません。密度の高い二つの部分の間に距離を生み出したり、行の進行方向を変えたり、全体の構成の均衡を整えたりすることがあります。
また文字の形は、周囲から独立して決まるわけではありません。語の中での位置、どのように他の文字とつながるか、構成全体のどこに置かれるかによって、その書き方が変化することがあります。
そのためナスターリークを初歩的に見分けるには、語の高さの変化、曲線的な動き、一部の垂直線の相対的な短さ、節度ある長い伸び、筆線の太さの変化、余白の使い方といった複数の特徴を合わせて見ることが重要です。
ナスターリークはナスフ、タアリーク、シェキャステ・ナスターリークとどう違うのか?
これらの様式は歴史的にまったく無関係ではありませんが、それぞれ独自の構造と性格をもっています。まずはいくつかの大まかな違いを見ることで、その境界を理解しやすくなります。
ナスターリークとナスフ
ナスフは、アラビア文字を基盤とする重要な書体の一つです。多くの作例では垂直要素の存在感がより強く、行もより規則的で直線的に整えられています。
ナスターリークでは、語の動きが一般により柔らかく、曲線的に見えます。文字や語の高さの変化、一部の垂直要素の相対的な短さ、斜めに伸びる線も、行に異なる性格を与えます。
ただし、これらは初歩的な識別のための違いにすぎません。それぞれの書体の規則は、数個の外見的特徴だけで説明できるほど単純ではありません。

ナスターリークとタアリーク
タアリークは、特に文書や書記の場で用いられてきた重要な歴史的書体であり、ナスターリークが形成される背景の一つでもあります。
しかしナスターリークを、単にタアリークを整えたもの、あるいは「より美しく」したものと考えることはできません。時間をかけて独自の構造、連結方法、規則を形成し、独立した書の様式となりました。

ナスターリークとシェキャステ・ナスターリーク
シェキャステ・ナスターリークは、より後の時代に成立した様式で、より多くの文字連結と高い密度が見られます。ここでいう シェキャステ は、不完全、無秩序、壊れているという意味ではなく、文字の構造と連結に生じた変化を指します。
したがって、斜めであったり、速く書かれていたり、動きが強かったりするナスターリークをすべてシェキャステ・ナスターリークと呼ぶことはできません。主な違いは、書く速度や外見上の密度だけでなく、連結体系と書の構造にあります。

ナスターリークはどこで用いられたのか?
詩、文学写本、書作品
ナスターリークとペルシア文学の結びつきは、その歴史の中でも最もよく知られている側面の一つです。ニザーミーやサアディーの作品を収めた写本、そしてペルシア語詩人の詩を書いた書作品から、この様式が詩の筆写や書物芸術において重要な位置を占めていたことが分かります。
ペルシア詩の構造も、書家に興味深い可能性を与えます。一つの詩行を構成する二つの半句を紙面上で異なる動きとして配置し、長い伸び、間隔、斜めの行によって両者の視覚的な関係を整えることができます。
もちろん、これはナスターリークが詩のためだけに生まれた、あるいは詩にしか適さなかったという意味ではありません。
その用途は散文、独立した書作品、ムラッカと呼ばれるアルバム、一部の文書にも広がりました。
(Yousefi, “Calligraphy”)
歴史的イランから中央アジア、インドへ
ナスターリークはイランの文化圏で形成されましたが、そこだけに留まりませんでした。ホラーサーン、ヘラート、ブハラ、中央アジア、インド亜大陸へと広がり、オスマン文化圏の一部でも知られていました。
(Yousefi, “Calligraphy”;National Museum of Asian Art, Nastaliq: The Genius of Persian Calligraphy)
中央アジアで書かれた書作品の一部は、後にインドのムガル宮廷で編まれたアルバムに収められました。こうした例から、書作品も他の多くの美術品と同様に地域間を移動し、その移動とともに芸術上の伝統や様式も伝えられていたことが分かります。
このような作品を研究する際には、書そのものが書かれた時期、周囲の装飾が加えられた時期、そしてアルバムに収められた時期を区別する必要があります。
ナスターリークはインド亜大陸でも重要な発展を遂げ、同地域の文字文化の中に受け継がれました。ウルドゥー語とその書記伝統におけるナスターリークの位置づけはそれ自体が独立した研究テーマですが、この広がりだけでも、ナスターリークの歴史を現在のイランの政治的国境だけで捉えることができないと分かります。
ナスターリークはどのように形成されたのか?
ヒジュラ暦8世紀における段階的な形成
専門資料では一般に、ナスターリークの形成をヒジュラ暦8世紀後半、すなわち西暦14世紀のイラン文化圏に位置づけています。
ただし、この出来事を一つの年や一瞬の出来事に限定しないほうが適切です。
初期の作例を調べると、ナスターリークがより確立した姿で現れる作品より前にも、それに近い特徴が存在していたことが分かります。これはナスターリークが徐々に形成されたという見方を支持しますが、一部の移行期的な作例については年代や制作地をめぐる見解の違いがあります。
タブリーズとシーラーズはいずれもこの時期を考えるうえで重要です。現在知られている資料から、一部の研究ではナスターリークの形成を歴史的イランの複数の文化・写本制作拠点に関わる過程と捉えており、一つの都市だけの産物と断定することには慎重です。
(Sedaghat Jabbari;Kardar-Tehran and Gholichkhani;National Museum of Asian Art)
ミール・アリー・タブリーズィー:ナスターリークの創始者か、体系化した人物か?
ナスターリークの起源について論じる際、ミール・アリー・タブリーズィーの名はほぼ必ず登場します。ただしここでは、伝統的な語りと新しい歴史研究を区別する必要があります。
伝統的な書の歴史では、ミール・アリー・タブリーズィーはナスターリークの vazi'、すなわち創始者として紹介されてきました。この見方は歴史文献や書家の系譜にも反映されています。
一方、近年の研究は、ミール・アリー以前の作例や移行期的な特徴の存在を踏まえ、一つの書体の完全な発明を一人の人物に帰することにはより慎重です。この見方では、ミール・アリーの役割は、ナスターリークを整理し、規則化し、より明確な形へと定着させた点にあったと考えることができます。
この二つの語りは、必ずしも同じ問いに答えているわけではありません。伝統的な語りは、後世の書家たちがミール・アリーの位置をどのように理解していたかを示します。一方、現代の歴史研究は、写本や年記のある作品を調べながら、ナスターリーク形成の過程を再構成しようとしています。
したがって、より正確には次のように言えます。書の伝統においてミール・アリー・タブリーズィーはナスターリークの創始者とされていますが、近年の研究では、むしろこの様式を体系化し定着させた人物としての役割が検討されています。
(Qazi Ahmad, Calligraphers and Painters;Yousefi, “Calligraphy”;Sedaghat Jabbari)
ミール・アリー・タブリーズィーの署名があるニザーミーの ホスローとシーリーン の写本は、この議論における重要な作品の一つです。National Museum of Asian Art はこの写本を1400年頃のものとしています。
ヘラート、スルターン・アリー・マシュハディーからミール・エマードへ
ナスターリークの物語は、初期の形成で終わったわけではありません。ヒジュラ暦9世紀から10世紀にかけて、ヘラートなどの中心地でこの様式は広がり、さまざまな書家が洗練と継承に関わりました。
スルターン・アリー・マシュハディーは、その作品から行の秩序、筆線の太さの変化への制御、異なる高さへの語の配置を明確に見ることができる書家の一人です。
サファヴィー朝期には、ミール・エマード・ハサニーの作品も、長く伸びる線、斜めの行、語の密度、余白の関係を明瞭に示しています。
ただし、ナスターリークの歴史はスルターン・アリーに始まるわけでも、ミール・エマードに終わるわけでもありません。二人は、多くの書家が形成と継承に関わった長い流れの中でよく知られている例にすぎません。
(Yousefi, “Calligraphy”;National Museum of Asian Art;The Metropolitan Museum of Art)
ナスターリークとペルシアの文字文化遺産
ナスターリークの重要性は、文字の形の美しさだけにあるのではありません。文学写本から独立した書作品、ムラッカ・アルバムに至るまで、ペルシアの文字文化遺産の重要な部分がこの様式によって書かれてきました。
ナスターリークをより深く知ると、古い写本を見るとき、もはや言葉だけを読むことはありません。文字の形、行の動き、間隔、書の大きさ、そして文字と紙面の空間との関係にも目を向けるようになります。
こうした作品では、書は単にテキストを伝える手段ではありません。テキストがどのように提示されるかも、その体験の一部です。文字がページのどこに、どの大きさで置かれ、書物の装飾や余白とどのように関係しているかを見ることで、作品をより完全に捉えることができます。
おそらく、これがナスターリークに近づくための最もよい方法の一つでしょう。単に文字を書くための規則の集合として捉えないことです。ナスターリークは、文字、動き、空間、テキストの関係から生まれています。その関係は数世紀をかけて形成され、ペルシアの視覚文化と文字文化の重要な部分に寄り添ってきました。




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